2009年10月11日

密航者説(2003/05/26)

この新聞の何が意味をもつかと言うと、下のトピックスのところにある「半島からの密航者問題」
端的に書けば「誰が強制的に連れてこられたって?」と言うことに結びつきます。
■昭和25年(1950年)6月28日(水)付産経新聞朝刊
06_28.jpg
主な記事 ◆「内閣大改造断行 きょう中に認証式 強力講和内閣の狙い」[編集注:トピックス参照]
◆「健全野党の方針 民主党、声明書を発表」
◆「北鮮軍京城に入城 市内は戒厳令下で平静」[編集注:トピックス参照]
◆「米機、北鮮機6機を撃墜」
◆「南鮮経済援助法案 両院通過」
◆「きょう安保理事会 武力制裁の可否決定か」[編集注:トピックス参照]
◆「非常宣言考えず 辻国家公安委員長語る」[編集注:トピックス参照]
トピックス ◆「内閣大改造断行 きょう中に認証式 強力講和内閣の狙い」
 27日朝から開始された内閣改造工作は順調に進められ、同夜には新閣僚の人選を完了した。28日中には新閣僚の認証式が行われ、実質的第4次吉田内閣誕生の運びとなった。
 即ち26日夜、芦田氏と会談した吉田首相は、早急に内閣大改造を決意し、27日朝、佐藤幹事長、益谷総務会長、林副総理、岡崎官房長官を外相官邸に招いて、首相の決意を披瀝した。よって全閣僚は同日午前、辞表を提出。直ちに首相官邸に改造本部を設け、益谷、林、根本、岡崎、佐藤の5氏を本部委員として具体的人選を進め、同日午後4時、入閣候補者のリストを首相の手許に提出。さらに同夜、このリストを中心に林、益谷両氏が協議を進めた結果、最後的決定をみた。新閣僚の認証式は28日に行われる。なお、26日の芦田会談ともにらみ合わせて、国務相の椅子は若干保留されるはずである。
 <経済閣僚更新>
 内閣改造の基本方針としては、政府部内の空気一新を図るとともに、参院選挙後の新事態に対処して、強力内閣を作り、出来ればこれを講和内閣の線にまで発展させようというのが大きな狙いであるとみられるが、新閣僚の選考も、この線に沿って次のような方針で進められている。
1、 経済界の沈滞を打破するため、経済閣僚を大幅に更新、大物を起用する
1、 つとめて有能な新人を抜てき。単に党歴による大物主義排除する
1、 参院工作の建前から緑風会からの入閣者は従来通り1名とするが、強力な政治性をもつ者を起用する
1、民主党に対しては、超党派外交の面だけでなく、内政の面まで全面的な協力を期待する建前で、国務相に2つないし3つの空席を残し有事即応の態勢をとる

◆「北鮮軍京城に入城 市内は戒厳令下で平静」
 北鮮軍は27日午前9時半、韓国首都京城に入城を開始した。
 京城は27日早朝から、事実上の戒厳令下におかれ、憲兵および一部政府機関だけが残留している。大部分の政府各部と市政府の建物は、すべて閉鎖された。商店の多くは平常通り開いているが、料理店は米市場が閉鎖されたため、店を閉じている。京城市の水道、電気は供給を停止し、外国人で残留しているのは少数の外交官と一部の居留民だけで、砲声はすでに聞えず、市中は静かである。市民は李承晩政府のパンフレットや反共スローガンを破っている。なお、前線からの報道は混乱を極め、国防部官吏たちは逃亡しつつあり、一部の報道によれば、韓国軍が議政府と38度線上の開城を奪回したとの報道も伝えられている。
 韓国政府は韓国軍が議政府を奪回し、全戦線で北鮮軍の進撃を食止めたので、27日、水原への首都移転を中止し、京城に踏みとどまることになった。
 韓国国防軍当局は27日、韓国軍は27日朝、議政府戦線で若干進出し、議政府を奪回したことを確認した。 韓国参謀本部スポークスマンは27日、AFP記者に対して、「情勢は再び甚だ困難となっている。圧倒的に優勢な北鮮軍は議政府を無抵抗で占領。さらに京城に迫っている」と語った。米軍事顧問団所属の米将校全員は27日朝、京城を出発。水原でムチオ米大使と落ち合った。同スポークスマンは、米武器の陸揚げに関する噂は嘘であると語った。(UP、AFP、AP)
 <金公使、陥落を否定>
 駐日韓国代表首席、金公使は27日午後、記者会見を行い、京城占領の報道を否定し、午後3時40分、京城と電話連絡したが、首都京城はまだ占領されていないと公式に声明した。(以下略)

◆「きょう安保理事会 武力制裁の可否決定か」
 国連安保理事会は恐らく北鮮に対して武力の派遣をも含むような制裁を加えるかどうかを決定するために、27日会議を開く。国連米代表団は26日中、北鮮に対する安保理事会の停戦命令を北鮮側が黙殺している点に鑑み、安保理事会のとるべき措置に関して、他国代表と協議を重ねた。なお、安保理事会は米その他の西欧諸国に対し、飛行機、大砲、艦船その他の武器を無制限に送る権限を与える可能性もある。(UP)

◆「非常宣言考えず 辻国家公安委員長語る」
 国家公安委員会の定例委員会は27日午前9時から開かれ、斎藤国警本部長官から事情を聴取して散会したが、辻委員長は記者団と会見、現在までの状況では国内の治安状態に異常は認められないので、非常宣言などについては、なにも考えていないと語った。(以下略)

◆「密航4ルートの動態 日韓結ぶ海の裏街道 潜入はお茶のこ 捕わる者僅か2割」
 朝鮮南北戦争の拡大によって憂慮されることは、南鮮避難民の日本への殺到だ。終戦以来、“悩みのタネ”となっているこの密入国は、今次の戦乱で明日にでも、どっと押寄せてくる危険がある。目下、政府は緊急対策をねっているが、今ここに“日本密航への途”を衝き、その実態を明らかにしてみよう。
 密入国および不法入国は近来、職業的な密輸密航に変り、手口も巧妙となり、取締法規の盲点をつく知能犯的性格をおびてきている。密航のルートには現在、大別して次の4つがある。
  1、歴史的、地理的に朝鮮と特殊関係にある対馬は、絶好の中継基地で、釜山から30浬、壱岐から40浬、平戸から53浬の地点にあり、西北端北緯40度、東経 135度から西南海上に北緯34度、東経127度40分に“マッカーサー・ライン”が引かれているが、その最も近接地点である棹崎はマ・ラインから僅かに 1000米。韓国船舶は自由に航行し、潜入できる。ここへ上陸すると今度は遭難をよそおって福岡付近に漂着。地方自治体官公吏などを恐喝或いは買収して入国するのがこれまでの例だ。
 2、 ウラジオストックから出て、リマン海流に乗って隠岐、佐渡から警備の薄い島根、新潟、山形方面へもぐりこむ。このルートは別名徳田ラインとも呼ばれ、政治的目的を持ったものが大半だという。
3、 釜山、木浦、麗水の南鮮各港から大きく迂回して鹿児島、薩南諸島を回り、瀬戸内海、四国、近畿地方に上陸する。このルートは密輸という単純な目的のものが多く、暴風雨で難破するものも多い。22年から24年までに約1000名を逮捕。
 4、 北鮮の海州、羅津、清津各港から済州島と連絡。そこを基地として九州、西日本一帯に潜入するルートで政治的目的を持ったものが過半数である。
 これら4ルートを通じて終戦後、我国に不法入国した朝鮮人の総延人員は約20万から40万と推定され、在日朝鮮人推定80万人の中の半分をしめているとさえいわれる。
<敗戦国の悲しさ>
 これが取締りは目下、海上保安庁と国家警察本部が当っているが、密輸団は火砲装備を持っているに反し、我が監視船は何ら装備なく、捕捉率はきわめて悪く、密輸船の2割程度しか捕捉出来ない現状にある。また、入国した際の外国人登録証明は暴力と買収につきるといわれ、それがそのまま合法化する場合が多いようだ。
 密輸取引物資は、日本から文房具、化粧品、薬品、繊維製品、金属製品、機械類で、朝鮮からは米、焼酎、牛皮、生ゴム等が持ち込まれ、徳田ラインからは拳銃等も持ち込まれているといわれる。日本から機械類を運ぶのは、北鮮の各工場でソ連製機械部品を取り付けるには7年以上を要するので、手軽な日本製を求めるからだという。 <対策に手を焼く取締当局>
 逮捕された朝鮮人は、佐世保港外針尾収容所に送られるが、この収容能力は800名で、到底収容しきれず、また送還しても何ら不法入国についての刑罰的規定がないので、何回も渡航を企て、当局でも全くその対策には手を焼いている模様だ。 今次、南北鮮戦争から今後、南鮮からの密入国者は莫大な数字に上るものと予想される折柄、その根本的対策の樹立がきわめて注目されている。

◆「無事か?同胞6千 砲煙の南北鮮になお残留」
 首都京城の陥落によって韓国の命運は急をつげているが、この戦乱の渦中にあるわが同胞の南北鮮における状況は、きわめて憂慮されており、その実態を把握することが重要な問題となっている。以下外務省朝鮮残務整理部と同和協会の調査による在韓同胞の実情である。
 問題の在留同胞は外務省の公式発表によると1人もいないことになっているが、去る5月、舞鶴入港の宗谷丸で引揚げた1邦人の話によると、終戦時そのままもぐった者や現地で結婚した婦人など約4000人いるといわれる。これらの同胞は何れも内地に帰還することを望んでいるが、手続きが面倒なために思うにまかせず、片田舎にいるものは、わざわざ京城まで出かけねばならないといった有様のため、大半はあきらめているという。
 しかし今後、情勢如何によっては夫婦別れをしてでも帰国手続きを申請し、先に帰った者が夫や妻を呼び寄せる手を講ずる者もふえるだろうと推測されている。
 一方、北鮮地区の同胞は外務省発表では官公吏16名となっているが、民間人が約2000名と推定されている。同和協会の調査では官公吏や警察官などをしていた者は、その前職関係から13名が平壌の人民教化所(刑務所)に入れられ、無期から3年までの刑に服している。3年刑期の者3名はすでに出所した模様だが、その後の消息は不明となっている。
 この他、元山にいた日本技術者約10名がソ連の強制収容によって何処へか連行された。民間人2000名は留守家族からの届出推定数であって、北鮮で相当数の死亡者を出し、また、シベリア奥地へ連行された者も多い模様で、現在、実数はこれよりかなり少ないものとみられる。(以下略)

◆「義勇軍募集始る 京阪神 南鮮居住民けっ起」 
 【大阪発】京城陥落の報に接した京阪神在住の韓国居留民は何等の動揺も見せていないが、在阪居留民団では、義勇軍の募集を開始。既に京都では梁同団監察局長が義勇軍輸送事務打合せのため東上。大阪でも各支部からの義勇軍輸送に便宜を与えるようにとの要請文を韓国代表部に送ると共に、金真●本部長は各支部に緊急国防献金の募集を指示した。[編集注:●=サンズイに朱]
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2009年10月10日

朝青龍事件を考える(2003/05/19)

サンケイスポーツ コラム甘口辛口
何かにつけて品格を問われている横綱朝青龍が、また問題を起こしたようだ。
7日発売の『週刊新潮』に『朝青龍の品格なき差別発言』と題する記事が載った。
第1子誕生を報じた先月8日のあるスポーツ紙の記事に「だれがしゃべった」と激怒し、
2日後の茨城県内の巡業先で同紙の記者をどなりつけたという。

『週刊新潮』は、その場面をこう書いている。『…冷静かつ穏やかに
説明し続けた記者に対し、次第に激昂してきた横綱は、あろうことか
「バカ野郎」「このクソ外人」と面罵し、挙句の果てに「キムチ野郎」と
罵倒した』。この記者は留学生として来日した後、新聞社に入社した
韓国人記者で、国際問題にもなりかねないひどい侮辱である。


これだけを読むと、出産を報道された朝青龍が某スポーツ紙の記者(実際には、日刊スポ
ーツの韓国人記者)に「キムチ野郎」と罵った、その場面しか理解できません。
しかし実はこの事件で責められるべきは、朝青龍ではなく、記事にした、韓国人記者であ
ると思っています。

チベット仏教圏では、生後数ヶ月間は誕生の事実を隠したり、公表した場合でも正式な名
前では無く、変な名前(例 牛糞)とかで呼ぶ風習があるそうです。
これは、多分一番弱い時期である生後数ヶ月間は悪魔に連れて行かれない(=病死を避け
る)といった目的と思われます。
実は、モンゴルも文化としてはチベット仏教の影響が見られ、似たような風習があるそう
です。このため朝青龍も出身地の風習に従ったものと思われます。
モンゴル人で、嫁さんもモンゴル人なのだから当然とも思えます.
また事前に記者クラブ経由で、メディア各社に報道しない旨を依頼してそうです。
まあ、隠すとかの問題ではなく、風習上の依頼なので、各社はこれを受け入れたと思われ
ます。(事実、この出産の件を報道したのは、日刊スポーツ1社のみ。)
つまり、朝青龍としては、以前から依頼していたにも関わらず、自らの民族的風習を踏み
にじられたも同然だったわけです。
報道協定や記者クラブ制度といったものについての、批判は色々あるでしょうが、今回の
問題は、この韓国人記者による「協定破り」「多民族の風習の無視」という、問題行動に
起因するものなのです。
普段「民族の誇り」だの、「独自文化の尊重」等と言った言葉で気色ばんで騒ぐくせに
他の民族の文化・風習は無視して行動する、かの国の連中の実態がよく判る事件です。

タグ:相撲 韓国
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posted by netpolitica at 19:27 | Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月07日

韓国国宝274号事件

黄某(海戦遺跡発掘団団長)による、遺跡捏造事件
92.9.4に指定された国宝274号は(95.6月)捏造が発覚。
その後、彼による遺跡捏造が次々発覚

韓国国宝274号事件は、国宝指定のための鑑定はなんと30分しか行われず、韓国歴史学会を
代表する錚々たる学者で構成される文化財委員会において、引き揚げ後わずか4日で国宝
指定が議決されていたことが発端。国家ぐるみである。


1992年8月18日、韓国海軍の海戦遺跡発掘団は慶尚道統営郡閉山島沖合の海底から、壬辰倭
乱の際に朝鮮水軍の亀甲船に装着されていた小型曲射砲である「別黄字銃筒」を発見し引き
揚げた。砲身には「亀艦」「万暦丙甲」と刻まれ、1598年に鋳造されて亀甲船に装着されて
いたことが明らかになったという。
また「亀甲船が銃筒で敵の船を驚かせ、一発の砲撃で必ずや敵船を水葬する」という意味の
銘文が刻まれており、これは当時の朝鮮水軍の決意に満ちた精神を表しているという。
この銃筒の鑑定に参加した趙成都・海軍士官学校教授(海軍士官学校博物館長・文化財専門
委員)は「文献上で亀甲船に関する史料は多いが、実証史料の引き揚げは今回が初めてであ
ったため、戦史研究に十分な国宝級遺物である」とコメントし、同年9月、この「別黄字銃
筒」は国宝274号に指定された。ところが、1995年6月になって、この「別黄字銃筒」は真っ
赤な贋物であったことが判明した。

この銃筒を引き揚げた海軍の海戦遺跡発掘団の団長である黄大佐が別件の賄賂事件で拘束され、
その捜査過程で、
1992年8月10日頃に骨董商・申休哲氏から例の「別黄字銃筒」を500万ウォンで購入したことが
判明した。
黄大佐はその銃筒を海に沈めた後、あたかも自分が発掘したように引き揚げたのだという。
動機としては「1989年に海戦遺跡発掘団長に任命されたが、何ら実績を上げることが出来ず、
悩んだため」と黄大佐は供述した。
骨董商の申氏は文化財管理法違反で逮捕されて取り調べを受け、当初は「銃筒は陸上の陣地跡
から発掘されたものであり、趙成都教授の頼みで購入した」と陳述していたが、その後の調べ
で、実はこれも嘘で、実際には黄大佐に頼まれて自分所有の鋳物工場で銃筒を鋳造したことが
判明した。
また、申氏の自宅から13点もの贋物の銃筒が発見され、この事件が黄大佐と申氏が以前から用
意周到に計画的に行ったものであることが判明した。
また、この銃筒の国宝指定のための鑑定はなんと30分しか行われず、韓国歴史学会を代表する
錚々たる学者で構成される文化財委員会において、引き揚げ後わずか4日で国宝指定が議決さ
れていたことも判明した。
審議委員の一人は「海軍の公式機構である遺物調査団が引き揚げ当時の写真まで示し、壬辰倭
乱研究の最高権威である趙成都氏の評価もあったので真偽を疑わなかった」と述べている。
さらに、銃筒を偽造していた申氏は1993年に海軍士官学校博物館に「青銅測雨器」という朝鮮
時代の雨量測定器を寄贈していたのだが、これも調査の結果贋物と判明した。
また、贋物の銃筒を「発見」した問題の海戦遺跡発掘団は、1994年2月にも全羅道南道麗水市
の近海で亀甲船の看板の鋭い突起部分を引き揚げていたのだが、これも調査の結果、贋物とい
う結果が出た。

参考文献 野平 俊水【著】 韓国人の日本偽史(小学館文庫)
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posted by netpolitica at 21:50 | Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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